みそかす日記

映画とか本とか美術館とか飲み屋とか。日々のけだるげな記録

まさしく戦慄の記録-インパール作戦

 この時期は戦争について考えます。

 今夏は、インパール作戦について読みました。

インパールってどこ?

 インパール、というとネットミームのようにもなっており、詳細は知らずとも、「とかく無謀な作戦」を指している、というのはある程度共有されているのではないでしょうか。
 しかしふと省りみると、私はインパールがどこにあるのかさえなんとなくしか知らなかったです。インドの東で、日本軍はミャンマービルマ)側からチンドウィン川を渡ってここを目指したわけですが、補給が困難であることは初めからわかっていたようで、「難しい」という意見も出ていたようです。はじめは牟田口中将もその意見だったようなのですが。
 それでも、決行されました。

NHKに受信料払っても良い

 この本は2017年に放送されたドキュメンタリーの書籍化です。放送自体は見ていないのですが、この本を読む限り「受信料払います」と言いたくなる内容でした。

■とにかくとんでもない……

 従軍した方々が作戦の様子を話していて、本当に悲惨だったことがよくよくわかります。その状態にも胸を突かれるのですが、決定、遂行、中止のこの流れに驚きました。

 飢え、病気で亡くなった兵隊のほうが多いというのはよく言われているところですが、ごはんがなかったら精神力でがんばればいいじゃない、みたいなの、本当に信じられません。また、自殺した方も多かったというのも暗澹たる気持ちになります。日本軍はもともと兵站を重視していなかったとのことで、それが根性論に基づくものなのか、上層部が人を人とも思っていなかったのか、なんともです。

 指揮官が愚将だった、というのは簡単ですけれども、これを読む限り、意思決定のプロセスがとても曖昧で、結局どこまでどうするのかというのがきちんと決まらないまま、何万人もが送り込まれたように見えます。しかも、現場の意見を聞く構造にはなっていないどころか、言うことすらできない(言い出せない、言っても無視される、言ったら更迭される)ような組織です。

 もともとは大本営から「インパールを攻めろ」というのが出ているわけです。情とか縁とかけっこうそういうので決まっていって、決まってしまえば決まりは決まりだから、そのとおりにしないなんてありえない、となってしまう。作戦の悲惨さも本当につらいのですけれど、決定までのあやふやなかんじがまた悲惨だなと思いました。

 牟田口中将を擁護したいわけではないけれども(その時点では第十五軍のトップだったのだから)、この人だけではないしその上の河辺大将も大本営もまあひどい。

 もちろん、実際にその人の命令で戦場に行かされた人の思いは別ですが、そのうえで、後世が「これはなんだったんか」と考えるとき、個人を攻撃して終わる問題ではないのではないかとも思います。

 こういった、誰がどうして決めたのかよくわからない、責任がどこにあるのかわからない、皆が「あいつが言った」「あいつがやめなかった」と言い合う構造って、現代社会でもよく見ますよね。結局とんでもないひどい目にあうのは現場の人、という理不尽はいつまでたっても変わらないのでしょうか。

 失敗が濃厚になって中止に傾いたときだけ、「中止したいんかな?」て顔色を読んでほしいと言われても……。それも、中止が決まってからもうまく現場に伝わっていなくて、中止を知らないままさらに向かっちゃってるんですね。えらい人は逃げちゃって。

 この作戦が仮に、実は成功の見込みがあるものであったとしても、それはものすごい犠牲を前提にしたものであったでしょう(この本の中で、「5,000人殺せばとれる」と参謀が中将に発言したと出てきます。この5,000人は、日本軍の兵士のこと)。であれば、やはり愚策であったと思います。

 元日本兵へのインタビューももちろんのこと、「齋藤日誌」の発見も貴重ですし、現地の、つまり巻き込まれた人たちにもインタビューしています。一方で、牟田口中将のお孫さんという方も出てきて、将校の家族の思いというのも垣間見え、本当に貴重なドキュメンタリーだと思います。映像作品は見ていないのでわかりませんが、この本には取材者がそのとき感じたことも描かれていて、取材者の問題意識を強く感じられるし、取材の難しさ、問題の深さについてのリアリティーもあります。

 文庫化してお求めやすくなっていますので是非。

www3.nhk.or.jp