こきゅうをとめていちびょうあなた
ときたら、すぐに続きが出てくるのではないでしょうか。
わたくしと同年代の方々は。
WBCのときにものすごく久しぶりに耳にしました。
稲葉さんの声で。
アニメ「タッチ」の主題歌として流れているのを聞いて、まあ、それはアニメの放送のたびに流れますから何度も聞きますし、耳に残るメロディーで、その頃おそらく私は小学生だったと思うのですが、ちょっと大人っぽいかんじもして、それでずっと記憶に残っていたのでしょう。
そして大人になればなったで、懐かしいけれど古びすぎず、B'z(稲葉さん)のキッチュな側面と合ったのかもです。
今WBCのテーマに採用されるところを見ると、野球ファンの想定年齢層がわかるっちゃわかる。
とはいえ、歌だけ聞いていたら野球の要素はゼロですよね。
なので、「タッチ」が野球漫画だと知らない方からすると、「なんで?」なチョイスかもしれません。
アニメを見ていた頃は、この歌の「あなた」はたっちゃんで、視点人物はみなみちゃんだと思っていました。
オープニングの映像がそんなふうだったのではないかと思います。
でも、よく考えてみたら二人はそんな関係ではないですよね。たぶん。
たぶん、というのは実はお話自体はあんまり覚えておらず、漫画もほとんど読んでいない。
<私がタッチについて知っていること>
* たっちゃんとかっちゃんという双子と、みなみちゃんが出てくる
* たっちゃんとかっちゃんは野球をしている高校生で、みなみちゃんは野球部のマネージャーで新体操選手
* かっちゃんは事故に合う。それでどうなったかも知っている(たっちゃんは、かっちゃんの事故のあとに真面目に野球をやり始めたのだったかもしれない)
* たっちゃんはピッチャー
*「たっちゃん、みなみを甲子園に連れてって」(うろ覚え)
* 結局甲子園に行ったのかどうかは知らない
* たっちゃんは三ツ矢雄二、みなみちゃんは日高のり子
* サンデーに連載されていた
* ゲーム化(ファミコン)されたが、クソゲーの呼び声高い
というわけで、特に一生懸命見ていなかったのです。
なんでかというと、私、もひとつあだち充作品の良さがよくわからないというか、ラムちゃんが可愛いというか……そういうかんじです。
でもまあ、たっちゃんとみなみちゃんはお互い好きなんだろうな、というのはなんとなくわかっていて、オープニングもそんな雰囲気というか、少なくとも当時の私はそう解釈していたのだと思います。
で、二人の関係と歌の中の「あなた」と「わたし」の関係を比べてみると、やっぱりちょっとズレているような気もする。
これ、一秒真剣な目をした「あなた」は、何かを言おうとしていて、「わたし」はそこから何も聞けなくなる、と言っていますが、子どもの頃の私は、たっちゃんがみなみちゃんに「好き」って告白しようとしていて、みなみちゃんがキャッてなって恥ずかしくて聞けないのだろうと思っていました。高校生の切ないがポジティブというのか幸福な恋愛だと思っていたんですね。たぶんね。
あれから40年ぐらい(ぎええ)。
稲葉声で聞くと、「あなた」は別れ話をしようとしているんじゃないかという疑惑が……笑
二人はすれ違って淋しい、というのがこの歌のおおまかなところなので、今さら「好きです」とか言いそうな雰囲気ではなさそうです。
そもそもこの歌の「わたし」がみなみちゃんで「あなた」がたっちゃんなのかどうかもわからない(たぶん違う)ですが、子どもの頃は、「タッチ」の歌なのだから「タッチ」の人々のことを歌ってるんだろうって特に疑問を持っていなかったと思います。
それにしても、この歌の「わたし」ってすごい寂しがりですね。
それにしても、「星屑ロンリネス」ってすごいセンスというか、きらきらしているのに寂しいって、すごい、すごい、なんか青春(語彙力)。
ずっと淋しい淋しい言ってるのに、最後「悲しみに こんにちは」と急にサガン。おしゃれですね。「悲しみよこんにちは」読んだけど忘れてしまったな。どんな話だったっけ。
とかいろいろ思い、1番よりまたさらに久しぶりに2番を聞いたわけですけど、「青春はね 心のあざ 知りすぎてるあなたに 思いはからまわり」って言ってますから、「あなた」はそこそこ恋愛経験がありそうですよね笑
で、稲葉ボイスで聞いているうち、別れ話なのかもなぁと思うに至ったわけです。
まあ、もしかしたら、おしゃれっぽい青春時代の恋愛的ななにかを歌ったもので、ストーリーではないのかもしれないです。
でも、どちらだとしても、「青春時代のなにか」を想起させて甘酸っぱい気持ちにさせてくれます(実際の記憶はないんだが)。
それにしても、えらい寂しがりなので心配になりますね(二回目)。
スポーツ選手、プレーから見るか、顔から見るか
そろそろキャンプインですね。ファンクラブに入っちゃったよ。
もうオープン戦のお話かぁ。
2025年あたりからちょっと性根を入れて野球を見るようになり、そうすると選手の顔と名前も覚えてくる。そして、ちょっとした推しができたりする。ちょっとした、と言っているのは、ちょっと推しているからです。猛烈に推している方々への遠慮です。
私の場合、日本ハムの選手で言うと、たくさんいますが強いて言うと、レイエスさん、田中正義さん、達さんが挙げられます。
そのきっかけは何だったのか?
スポーツ選手のファンになるとき、あの日あのときあの場所で投げた気迫の一球とか、極限の集中力で振り抜いた一打とか、人間の動きと思えないファインプレーとか、とんでもないスピードで走っていたとか、そういう「プレー」であることは、ままあることではないかと考えられます。
続いて、その方の性格、リーダーシップがあるとか、優しいお兄ちゃんとか、元気ハツラツなんとかなんとかCとか、普段おっとりしているのにバッターボックスに入るとき顔違うとか、何しろいつもやたら熱いとか、厳しい世界にそぐわないようなおっとりした方とか、性格面で応援したくなることもあるでしょう。
疲れていてもいつも丁寧にファンに対応してくれるとか、話聞いてたらなんかえらいストイックとか、何かのはずみで会ったらめっちゃ気さくにサインしてくれたとか、ずっと寄付しているとか、考え方やポリシー、発言、プレー外の行動ということもあるかもしれません。
このほか、親戚だとか、同級生だったとか、友だちの友だちの友だちのお兄さんとか、そういう縁で応援することもあるでしょう。
また、みんながよく話題にしているので興味を持つようになる、ということもあるかもしれません。
ここまではそんなに問題ないと思います。たぶん。
その選手のお顔の造形が良いから、お姿が麗しいから、などヴィジュアル的な理由でファンになることもあろうかと思います。
バッターが打ったらどっち向かって走るのかも知らないが、ちらっとテレビやら動画で見たあの人がめっちゃかっこよかった。
こういうことはあるかもしれません。
それに対して、何やらもやりとする方が一定いらっしゃるであろうことは想像できます。いないかもしれん。でも、いる可能性はある。
まあ、でも、かっこいいっていうのはいいことだし、それで好きになって、そのスポーツまで好きになってもらったら、その選手はスポーツに対して貢献してると言えるのやもしれません。アマチュアならともかく、プロだからね。
親戚とか知り合いというのは特殊な場合なので、ざくっと以下3つか4つに分けてみました。
①プレーだよね
②性格・行動かな
③お姿です
④え、なんかみんな言ってるし
そのうえで自分を振り返ってみる。
きっかけとなったできごとを①~④に分けてみます。
まず、レイエスさん。
①
ホームランバッターだけど、走るのも一生懸命なんですよ。
あと、やっぱりホームラン生で見たからね。めっちゃ久しぶりに行ったところでほんまに打ってくれるなんて!というかんじでした。
とっても明るいドミニカンで、日本語もけっこうわかっているみたいだし、ヒーローインタビューではなるべく日本語で話そうとしてくれる。
ここぞというところで打ってくれるし、本当に頼りになるバッターです。
正義さん。
④
正義執行、ジャスティス、と皆さんお話しされていたので、それでこんな選手がいるんだなぁと思っていろいろ読むと、なんかめっちゃ真面目な選手で、しかも苦労しておられてものすごい応援したくなった。
なので、きっかけは「みんなが話しているから」なのですけど、みんなが話すのにはやっぱりそれなりの理由があることが多いよね、ということですかね。
個人的には、お名前が「せいぎ」であるために、小さい頃から悪いことはしないようにしようと思っておられたそうで、「田中正義容疑者とかヤバいじゃないですか」みたいな一文を読んだときにキュンときましたね。
達さん。
②
③と思うよね。思ったよね。でも②が近い。
このお方、イケメンと名高いのですが、何しろわたくし目が悪いもので、テレビで見ていてもそんなにお顔がわからない。
おってなったのは、発言です。
それももう有名なのでひとつひとつ挙げませんが、最初に「ん?」となったのは、(味方に)もうちょっと点取ってほしかった、的なヒーローインタビューでの一言。おもしろかったね。そのときは、笑かそうとしていたのか天然なのかよくわかりませんでしたが。
その後、いろいろ読んでいると、言おうと思えばそれっぽいことも言えるけど、思ってもないことを言うのが嫌だから、というような理由でストレートに話していらっしゃるとのことで、すごい良いな、と思ったわけです。
というわけで、入口はなんであっても、その扉を開けると、今の世の中情報が溢れかえっていますから、特に痩せても枯れてもプロ野球、やはりメジャースポーツで、スポーツ新聞に野球の記事が載っていないことはないわけです。それに、球団によるのかもしれないが、アピールもなかなか力が入っている。スポーツなのでまずは勝たなきゃとはいえ、そこはやはり人気商売、もっといえば興行ですから、お客を呼べる人気選手は球団にとっても大事な存在のはず。親会社がよほど金持ちというならともかく、お客さんが来てお金を落としてくれないと、強い選手が呼べませんし、そうなるとチームが弱くなってしまう。だから、球団もあの手この手で機会を作り、演出もするし、選手を推して(売り出して)くるんですね。
なので、知れば知るほどますます好きになってしまう(ことが多い)。
そして、思わずお金を落としてしまう。
という。
ところで、私はどんなに野球が上手な選手でも、チームメート(特に後輩)をいじめる人は絶対に応援したくない。どんなにすごい選手でも、その人がいないと全敗するとしても。
女性関係がだらしない人は、それはご本人とお相手、既婚者であれば家族の問題なので特に言いたいことはないですが、それにしたってそんなんで「子どもに憧れられる選手になりたい」とか言われても半笑いなるよね、とは思いますねぇ。いいんですよ、別に。殴ったり騙したり中絶させたりとかでなければさ。
物語の力『落下の王国』
予備知識ゼロで見に行きました。
映画好きの同僚が、諸事情により今となっては見るのが難しい作品が劇場に来てますよ、と教えてくれて、なんかよくわからないけど見に行こうとて年末に行ってきました。
もうサイトだけできれいですね。
<以下、ネタバレ気にしない>
ストーリーがわかっても魅力が減る種類の作品ではないけれども、とはいえきちんとお話はあります。
ところで、私が見に行った映画館はいわゆるシネコンではなく、前にちょっと大きな人が座ると字幕が一部見えなくなったりする。
残念ながら前に座った人が大きくて、最初気になってお話に集中できておらず、よく覚えていません。なんだか最初は白黒のフィルムで、やたら人が飛び降りたち落っこちたりしていたような気はしますが、よく覚えていない。
外枠(現実)のお話は、大怪我をしてインドの病院に入院しているスタントマンのロイが、骨折して病院にいる小さな女の子(アレキサンドラ)に薬を取ってきてもらおうとする。この薬はモルヒネで、つまり自殺のため。
アレキサンドラに自作のお話(おとぎ話)を聞かせて、続きを聞きたかったら薬を持ってきて、と頼むわけです。
この「おとぎ話」も、映像として提示されます。その世界が本当に美しくて。本当に存在しているの?と思うような景色の数々。衣装も不思議。
正直なところ、私はCGと本物の見分けがつかないと思いますが、何にせよ本当に美しかったです。奇妙で。でも、こう、作った奇妙さでなくて、夢みたいでした。それも、ギリギリ悪夢になっていない、でもやっぱりどこかちょっと歪んでる、キワの、美しい夢。
「おとぎ話」は、要するにロイの作り話で、思いつくままに語っていくので、アレキサンドラの反応によって展開が変わったり、はじめはあなたじゃなかったよね……?と「役者」が入れ替わったり。それでも終わりに向かって進んでいくのですけど、「現実」のラストがほんとに良くて。
現実から影響を受けて紡がれていたストーリーが、現実に影響を及ぼすようになっていく。ロイは、自分とアレキサンドラの作った物語に救われていったんだと思いました。
なので、映像の美しさはもう本当にすごいのですけれど、「物語」の力を信じている人の作品というふうに感じました。しらんけど。
あとは、ロイとアレキサンドラのやりとりがちょっとスリリングなかんじがして、大丈夫?通じてる?みたいな、台本どおりぽくないところがあったように思っていたのですが、実際、だいぶ自由な進行だったみたいです。
こちらの記事が詳しかったです。
【解説】映画『落下の王国』あらすじから深い考察まで徹底解説|CINEMORE(シネモア)|CINEMORE(シネモア)
私はたいへん楽しかったし、良い映画を見たなぁと満足して映画館を出ましたが、私の隣の席の方は最初から最後までぐっすりお休みでした。二人連れだったけど、どんな感想を述べたのか、興味がなくもないです。
見た、読んだ、『国宝』
長いこと気になっていました。
予告編を見たときに、「これはどうかな……」と思ったのでそのままになっていましたが、とにかく評判がよく、同僚にも勧められ、家人も見に行ったというので、ほんじゃ行くか、ということで。
<以下、ネタバレあり>
同僚の評は、3時間(の長さ)を感じないおもしろさ、とのことでした。私としては、予告編のお化粧どろどろになって泣いている図を見てすでにお腹いっぱいだったので「そおなの?」というかんじでしたが、よく映画を見る人がそう言うのだし、ハズレはないだろうとは思っておりました。
家人の評は、おもしろかった、良かった、がベースでしたが、
「渡辺謙が女形……?」
「あの一緒に入れ墨までいれた女の子が、別の子(俊ぼんのこと)のほうに行ってしまうのはおかしい」
「人間国宝(これは万菊さんのこと)がどんなに落ちぶれたとしてもあんなところに住むわけない」
「女将さん(寺島しのぶ)の態度がなんかおかしい」
「あんな入れ墨のある人、なんぼなんでも歌舞伎役者にはなれない。外国でも上映されているらしいが、勘違いされないか心配」
などなどでした。
で、年末ようやく。
全体的には、おもしろかったです。
■良かったところ
・ 衣擦れの音。美しい
・ きれい! 華やか!
・ わかりやすい!
・ すぐに展開するので、長いけれど飽きない(特に後半)
・ 同じ理由で、いやあああぁぁつらいーーーという状況が非常に短い
・ よくわからないけど主役二人が仲良しなので、ギスギスした気持ちになりにくい
・ うわ、これあとで響いてくるやつでしょ、と思った嫌な展開になりそうな伏線が回収されない(笑) 具体的には、きれいなお顔に喰われちまいますよ、的な万菊のセリフ。顔で損した描写はなかったように思うけど、もしかしたらドサ廻りしているときに寄ってきた男の人に「偽物」と言われたことなのかもしれない。もしそうなら、そのぐらいで済んでよかった
・ なにしろ役者さんがすごかった
・ 田中泯が特にすごい。出てきたときの緊張感
・ 準備ができたときの「はい」がなんとも言えず良い!
・ 逆説的に歌舞伎の女形のすごさがわかった
総じてストレスが少ない3時間だったと思います。
■そうでもなかったところ
・ 後半、同じことを何度も見ているような錯覚が……
・ いろいろあって戻ってきても、人物なり芸なりの変化がよくわからない。最初の道成寺といろいろあったあとの道成寺、とか
・ お化粧どろどろ踊りは酔いそうだった
・ いくらなんでもけっこうな名跡を襲名した人があんなにまで落ち目になるもんなんかな……
・ 歌舞伎の舞台で良い場面ってとこで上から別の音楽がかぶさってくる。それはめっちゃくちゃがんばっていても、やっぱり歌舞伎役者でないので仕方ないのかもしれない
・ 曽根崎心中、さすがに舞台でドタバタしすぎでは……あの状態で続けるかなぁ
・ 人間国宝になるってことはそこそこのお歳だと思うけど、最後まで吉沢亮が若いというか、年を取ったフリもしない
でも、このあたりは別にいいです。
喜久雄が最後まで異常に若いのも、普通の人じゃない感が出ていていいのかもしれないし。
■ものすごい気になったところ
● 彰子が行方不明になった
女性の扱い方がどうなの、みたいな感想はちらほら見ていたので、そういう意識はありましたけれども、歌舞伎界での女性の立ち位置っていうのは知られているわけですよね。良し悪しはおくとしても、そういうものだよね、と驚きはない。なので、劇中で妻、愛人、恋人がああいうふうに扱われていることは、私としては、まあ、そういうこともあるんだろうな、というかんじでした。
でも、この映画自体の女性の扱いには凄みがなかったような気はします。踏まれても蹴られても覚悟決めて最後までやったるで(梨園の女性はこうあるべきとかと言いたいのではないです)、みたいなものはあんまり感じられなかったので、なんだか便利に使われているようには見えました。
寺島しのぶを使っておいて……となんだかメタながっかり感もちょっとあるなどしました。
● 悪魔と取引したんやろ?
ラスト、喜久雄は人間国宝になるわけですが、娘さんがカメラマンとしてやってきます。
ここまでの流れだと全然会っていなかったのかなというかんじだったので、見てすぐに娘ってわかるんか、というのもありますけど、それも吹っ飛んだのが、娘さん、最初は、お父ちゃんと思ったことない、とかまともなことを言っているのに、急に「日本一の歌舞伎役者にならはったね」とか言っていて、なんかそれはおかしくない? ドスで刺してくる展開を予想したんだけど。
このあたり、めっちゃ気になったので映画館からの帰りに原作を買って読んだところ、そのあたりはかなり違っていました。原作のほうは女性もそれぞれ根性があって、納得できるかんじでした(繰り返しですが、良し悪しではないです)。
このお話って、つまるところ「役者の業」の話なんだと思うけど、タイトルからしても最後どうなるかだいたいわかるわけですよね。役者の、一般人の理解・行動からはみ出している感じ(一般人からすると不愉快な部分もあるでしょう)とか悲劇性よりも、共感できるような、良い気分で劇場を出られるストーリーを優先したのかなという気がしました。
結果、成功しているし、良いよね。
これで歌舞伎を見に行く人が増えたらすばらしいと思いますが、この映画が好きな人の多くにとっては、歌舞伎は退屈かもしれんと思わなくもないです。でも、まずは行ってみないとわからないもんね。
なお、原作の小説は地の文が敬体で、「語り」みたいになっています。
お話の中身はなかなか生々しいけれども、この軽妙な語り調のおかげで、てんてん、と進んでいきます。
映画の中で印象的だったセリフは、だいたい原作にあります。でも、そのタイミングでそういうふうに言うと、意味変わってない? と思うところも……。
あと、舞台に男の人が侵入してくるところも、だいぶ意味が変わっていたかな、と。原作では、ここで現実と舞台の境が壊れてしまって、喜久雄が違う世界に行ってしまう最後の一押しになった、と思います。で、最後の舞台で「きれいやなぁ」と言いながら外、道路に出ていってしまう。
映画のラストは、見たかった景色が見えた(現実にはないものを見ているってことですよね)、ということで、原作とある意味同じ終わりなのかなぁとも思います。あっちの世界というか、あの世に行ったのかな、とも思いました。
昭和の興行とか、それに続いてテレビとか、そういう文化史としてもおもしろかったです。
奇妙なチーム
すっかり野球シーズンが終わってしまった。
日本ハムを応援したが負けてしまった。日本シリーズはソフトバンクvs阪神となり、なんとなく流れで見て、当然というのか阪神を応援した。
結果は御存知の通り。
なのだけれど、阪神というチームはつくづく不思議。
なんであの日あのときあの先発云々とかそういう話ではない。
日ハムが負けても、「負けちゃったけどナイスゲームだった。次がんばれ!」と言いたくなるかんじだが、阪神はそうではない。
何やっとんねんんんんんんんんん!!!
となる。
これは不思議なことだ。
シーズン中そんなに熱心に応援してきたわけでもないのに、頼むから甲子園で決めさせんのだけはやめんかいと思い、そしてとうとう甲子園で日本一を決められてしまうと、その不甲斐なさは何やねん、という気持ちになった。
セ・リーグ覇者なのにとか、日ハムの仇(?)を取ってほしかったとか、そういうことでもない。負けたのが悔しかった。
ソフトバンク強かったよ。おめでとう。
と言うのが野球ファンの鑑なのだろうけれども、とにかく負けたのが悔しかった。
なお、特定の選手に対してというよりも、「阪神」に対して思うのである。選手たちはとってもよく頑張っていた。最後打たれたのも、あれは投げたほうではなくて打ったほうが悪い(悪いわけではない)。
当然のことながら、関西人がすべて阪神ファンなわけはなく、そもそも野球ファン自体が減っているだろうが、やはり私が関西人であることが大きなファクターだと思われ、なんらか染みついた特別なものがあるようで、スマートに応援できないのである。入れ込んでしまうというのか、阪神が負けると自分のなにかが負けたような気がする。
というと大げさだが、いずれにせよ、他のチームをどんなに好きになっても、阪神が特別なチームであることは変わらなさそうな予感がしている。
奇妙な気付きであった。
ちなみに大山選手が好き。残ってくれて良かったね。近本選手も残ってくれて良かったね。それはまあ、巨人とか行っちゃったら血を見るもんね(しらんけど)。
思わずシャウエッセン買っちゃうのね(応援の一貫)
プロ野球をこんなに熱心に見るのっていつぶりだろうか。
高校生の頃、甲子園に何度か行った。その頃は阪神ファンだった。
1985年に優勝したあと、カーネルさんの呪いのせいかとにかく低迷。1992年に新庄と亀山が出てきて2位(準優勝と表現されていた)になるまでほぼ6位だったし、1993年以降も10年間Bクラスだった。阪神が強いチームになったのは、私の感覚からするとわりと最近のことである。
私は久慈選手のファンだった。なにしろ守備がうまかった。バッティングは輝かしいとはいえなかったかもしれないが、渋いところでしぶとく打ったりいきなりホームランを打つこともあったりしてなにしろ好きだった。
久慈くん(と呼んでいたのですみません)が阪神にいたのは1992年~1997年(その後、中日1998年~2002年、再び阪神2003年~2005年)。新庄(と呼んでいたのですみません)が阪神にいたのが1990年~2000年。なので、新庄選手のプレーも実際に目にしていておかしくないが、通い詰めていたわけでもないのであんまり記憶にない。テレビでときどき試合を見ていたけれど、試合の記憶自体があまりない。家で野球を観る習慣がなく(しかも父は巨人ファン)すぐチャンネルを変えられてしまったのと、そもそも阪神がいつまでも弱かったのであんまり頑張って見なくなったのだと思う。そのうち、結局金持ちの球団が勝つんだよなと思って、なんだかつまらなくなった。みんな長島さんが好きで巨人に行ってしまうのもいまいち納得できなかった。自分の生活の変化などもあって、ますます興味が薄れた。
新庄選手に関しては、敬遠球を打ってサヨナラしてしまったり、ファンの旗にホームランボールを叩き落されたり、急にメジャーに行ってしまったかと思うと日ハムに戻ってきてオールスターでホームスチールしたり、引退宣言して優勝して終わるなど、なんというのか、話題性のある華やかな選手だった。もうちょっと正直にいうと、目立ちたがりな印象だった(ホームランを叩き落されたのは関係ないけど)。
その後もゴシップ的なことやらトライアウトを受けるやらいろいろあったみたいだが、私はプロ野球への興味を失っていたし、テレビ自体見なくなっていたのであまり知らない。テレビ中継も減ったのだと思う。
で、新庄監督である。
まずびっくりした。
現役時代にしろ引退後にしろ「新庄」を知っている人の多くがびっくりしたのではないだろうか。たいへん失礼ながら、変な声出た、という人も多かったのではないだろうか。
みんなをまとめてチームを指揮したり選手を育てたり、そういったことを好きそうに、というか興味がありそうに見えなかった。自分が主役、というかんじの人だと思っていた。
びっくりして、注目するようになった。
思えばここですでに新庄監督劇場に引き込まれていたわけだ。
プロ野球のことを気にしなくなって久しく、リーグ戦もCSも日本シリーズもオールスターも見ず、いつやってるかも知らず、WBCがあってもほとんど選手がわからない状態で、しかもこれまでパ・リーグの試合はまったくと言っていいほど見たことのない人間が立ち止まったのだから。
最初のうちは弱かったし、取り上げられ方も、なんともいえない微妙なかんじだったと思う。たぶん、多くの人がどう評価していいのかわからなかった。ただ、弱かったのは弱かったので、わりと言われ放題だった。
この時点では特にファンということもなかったので、気楽にテキスト速報などをちらちら見ていた。知っている選手は清宮くんと万波くんぐらい。あとはまったく知らない。
また負けたか、という日々だった。なかなか勝たない。
弱いチームというのは、当然だがたまにしか勝たない。たまに勝つと上位のチームに対する嫌がらせみたいになる。ベンチはどんより、監督はなんだかむっつり怖い顔をしていて顔色自体悪い。中村監督(阪神)は本当に心配になるぐらい気の毒な様子だった。
ところが、新庄監督の言葉は負けてもいつもだいたい前向きで、面白かった。
監督就任3年目になって急に(というわけではないのだろうが)強くなった。
ソフトバンクがアホみたいに強いので、2位といってもだいぶ離されていたが、それでも2位。
しかし、去年もそんなに応援するほどでもなかった。知っているのはあいかわらず清宮くんと万波くん。交流戦ぐらいから、水谷くんもふわっと知っていた。
CSに残ったので、へえ、と思って本当に久しぶりに見た。
ものすごく緊張する試合のはずだが、日ハムの選手たちは若くて元気が良くて楽しそうだった。それは印象に残っている。
残念ながら日本シリーズには行けなかった(ソフトバンクにはわりとあっさり負けた)が、それでも、日本シリーズ行きを争えるところまで来ていた。
そして4年目。
レイエスウウゥゥゥーーーーー!!
正義くーーーん!!
ひろみひろみひろみ!!
とえらいことになっている。
弱いときは適当で、強くなったら応援するんか、と言われると「すみません」としか言えない。強くても弱くてもずっと応援しているファンは本当にえらいと思う。なので、「日ハムファン」と自称するのにはちょっと抵抗がある。こういうことにはいつも乗り遅れているのでこれは仕方ない。
偶然、家人が留守にしている日になんとなくテレビで見てみたら面白かった。
これまた偶然、誘ってくれる方々があって京セラドームに行ってみたらこれまた楽しかった。
そんなこんなで今は毎日試合を楽しみにする身になってしまった。
いったん見るようになれば、選手の顔と名前も覚えてくるし、スポーツ新聞のネット記事や監督のインスタもこちらから探して読むようになる。基本的にテキストベースの生活で、動画は面倒なのであまり見ないが、動画もときどき見るようになった。
入口は新庄監督だったが、今は選手たちとそのプレーを楽しみに見ています。
逆に、新庄さんが監督にならなかったら、今でも日ハムで知っているのは清宮くんと万波くんだけ、という状態のままだったかもしれない。
新庄監督ご本人もあの手この手でプロ野球を盛り上げようとしているのがわかる。現役のときもそうだったのだろう。球場の雰囲気もかなり変わっていた(甲子園はけっこう怖かったのよ)し、コラボしたりごはん頑張ったりすごいスピードでグッズを開発したり、球団の努力もすごい。選手の入場曲なんてなかった。トラッキーはバク転していたが(トラッキと握手したことがある。良い手触りのタオルみたいだった。記憶の改変があるかもしれない)、きつねダンスなんてやる雰囲気ではなかった。
そしてシリーズ終盤
今日、これを書いている時点では首位ソフトバンクとは4ゲーム差の2位。
とにかくソフトバンクが強いのでなかなか差が縮まらない。
ヤキモキしてぎゃああああああとなっていることも多い(特に今)が、怒りではなくて口惜しさだったり歯がゆさだったり。選手たちは全員私より年下で、子どもぐらいの歳の選手もいる。元気に頑張っている姿を見るだけでちょっと嬉しい。そういうところは私の視点も変わった。
高校生ぐらいのときはもっと、なに三振しとんねん、どこ投げとんねん、どこ振っとんねん、クソボール、ノーコン、扇風機、というかんじだった。球場で叫んだことはないとはいえ、今思えばわりと失礼である。選手との(心理的な)距離が遠かったからだと思う。言い方が難しいが、プロ野球界というのはかなり遠いところにあり、常識では測れず、プロ野球選手は特別な存在で、打って当然、抑えて当然、という視線だったのだろう。今も近くはないしプロ野球選手は特別な存在だが、いろいろ発信ツールが増えたせいか、「ふつうの若者だな」と思うような瞬間があって、なんとなしの親しみがある(高校生のときはさすがにスポーツ新聞は購読していなかったし、もちろんネット環境はなかった)。
簡単に言うと、選手全員かわいい。
もし今私が20代はじめ頃だったら人生狂っていたかもしれない。正義くんが結婚しようものなら行かないでお嫁サンバだったに違いない(アナクロニズムが起きている)。
……しかしやはりそれは無意味な仮定で、若かったらここまでハマらなかったような気もする。若い頃はいろいろ余裕がなかったし、むかし見ていた選手が監督になったことに何らか感じるところがあるのは、そこそこの歳になったからだろう。
毎日、仕事が終わったらなるべく早く帰って野球を点ける。月曜日以外。
このごろでは家人が先に点けて見ている。
休日はプレイボールが待ち遠しい。
しがないサラリーマンの生活が少し彩られる。いつかエスコンに行ってみたいと思わせてくれる。北海道遠いけれども。いつか行きたい。
そして、やっぱり優勝してほしい!
応援しています。
TM NETWORKのライブに行ってきた
ちょっと経ってますが、TM NETWORKのライブに行ってきました。
その前行ったのいつだったかな……。5年は経っていると思う。
前も思ったけど、
UTSUの声が高校生(概念)。
3人ともお元気そうで良かった。
どの曲も良いのですけども、私が今回特にフゥ~~~!てなったのは、Fool on the Planetでした。好きなんです。
Devotionも、家で聞いたときはピンとこなかったけども、生で聞いたら良かった……。
あとは、THE POINT OF LOVERS' NIGHTも好きなんですけど、「電話ボックスに忘れたカセットで」を今の人は理解できないだろうな、と遠い目になりもする。私も、それで「君のメッセージが僕に伝わる」、という状況はいまだによくわかりませんけれども。
UTSUの声って、本当にあのままですよ。
あの、CD(とかそういう媒体)で聞く通りの声です。
一応言うと、ライブで聞くほうがかっこいいです。それはもちろん。
小室さん出ずっぱりでがんばっていました。小室さんと木根さんの曲も良かったなぁ。
で、MCがないのも好きなんです(私は)。
定刻に始まって、時間どおりに終わる。アンコールなし。
この、なんともいえんクールなお仕事感。すばらしい。
TMNの歌って、だいぶ歌うまい人が歌ってもあんまりかっこよく聞こえないんですけど(バイアスがあるのは認める)、なぜUTSUが歌うとあんなにかっこいいんだろう。答えは、UTSUが好きだから、なんだろうけども。
そんなに情感たっぷりとかではないんですけどね。わりと淡々として聞こえるのに、冷たくはないんですよね。変わったリズムだし、歌いだしとか繰り返しとか、けっこう歌いにくいと思うんですけども。まあ、プロに歌がうまいとか言うのもアレなんですけど。ときどき歌詞間違うのはみんな知ってるご愛嬌。
会社の若い人に話したら、ほぼ知らない、Get Wildはかろうじて知っている、というかんじだったので、まあ40周年を迎えるということだから不思議ではないにしても、本当に長いことやってるなぁと。
また行きたいです。




