ぼくがぼくであるために
特別お題「わたしがブログを書く理由」
と言いたいところですが、あんまり考えたことがなかった。
書きたいから、というほど強い欲望もないのでこんな体たらくですが、それなら書かないでいいわけなのだけれども、暇だからというほど暇でもないはずで、そもそも毎日毎日パソコンの前でああだこうだうなっているのが日々の仕事ですから、休日にまでわざわざ画面を見てうんうん言わなくてもよかろうという気もしないでもない。
ご覧のとおり、お役立ちブログではなく、頻繁な更新もなく情報も大した考察もありません。
テーマを決めたほうが書きやすいし来ていただきやすいのでしょうけれど、自分が楽しくないと、というより、ちょっとでも「面倒くさい」と感じると書かなくなる、というのは身をもって知っています。向いてないんちゃうか。
なので、本や映画の感想を書くときも、あらすじ(を書くとしたら)ものすごい適当です。あらすじまとめる能力が著しく低いので、そこをきちんと書こうと思うと心理的なハードルがどーんと上がってしまう。そこで嫌になってやめるより、読んでくださった皆さんにとって申し訳なくも情報量ゼロでも、まあとりあえず書こうかな、といったところ。
記録としてどうかというと、書き上がって長い時間が経ってから読み直してみると、ああ、こういうことがあったのだなとかこういうことを考えたのだなとか、振り返ることができてそれは楽しいです。とはいえ、私の場合、自分以外誰も読まないこと確定の紙の日記ですら、正直に書かないですね。正直に書かないというか、敢えて書き落とす。
これは我ながら面白い。
自意識高い系、なのでしょうが、今、自分の中にあるものを書く必要を覚えないというのか(書かないと忘れてしまうとわかっていても)、非常に億劫に感じます。
つまるとこ、ブログが自分の記録のためかというと、そうでもない気がする。それも含めた記憶のよすが、ではあるかもですけれども。
ブログという媒体である以上、誰かの目に触れる(可能性がある)ことを前提にしているので、まったく自分だけの秘密の日記とは違います。それよりはちょっとなりと「客観的」を意識して書いている。つもり。
ブログには嘘を書いているわけではないけれども、苦手なりに構成を考えたり表現を考えたりオブラートに包んだり剥がしたり、ちょっとよそ行きではある。なんとなく隠そうとしてかえって無防備に出ている(そのフリをして出したい)ときもある。
自分が出したいところまでを書いているつもりですが、それは多すぎたり少なすぎたりしているのかもしれません。
なので、あふれこぼれるもの。
ですね、色んな意味で。
それを後になって、書いたことも忘れたぐらいになって読むと、微笑ましさというかむずがゆさというか、なんともいえない味わいがあります。
文章を書く、そのこと自体が私にとって楽しいのは間違いありません。
書き始めるまでにだいぶ時間いりますけどね。
でなければ、積み上がっていく楽しさもあるかもしれません。吉良が切った爪置いとった、みたいなことなのかもしれませんね……。
それから、書いているうちに少しでも文章がうまくならないかなという淡い恋心。もといシタゴコロ。
しかししかし、こんなぴょろりんぴーひょろブログでも、来てくださって、読んでくださって、星をくださる方がいる。
これは感動です。
だって、ネットの海の果で世迷い言を叫んでいたら、返事が聞こえてきた。
これはすごいことです。
考えれば考えるほど発信することになんの必然性もないのに発信するということは、やっぱり、ここに私がいる、というのを叫びたいってことなのかなぁ。
タイトルはこの歌