ああ 甲子園(それは春の歌だけど)
高校野球を見るのは好きなのだけれども、ここ数年来、高校生を消費している感覚が強くなってきて、やりがい搾取というのか、スッキリしない気持ちを抱えながら見ることになる。
箱根駅伝と同じようなところもあって、いったいこれは本当に選手のために開かれているのかどうなんだろうかと疑問に思うところもあるけれども、本人たちが楽しくやっていそうだし出たそうだし目標にしているし、なにせ箱根にせよ甲子園にせよ、やめようとか変えようってことになると選手たちがいちばんかわいそうなんじゃないか的ななんらかが爆発するような気もしなくもない。
そうなんだよね。
でも、この記事を読んで、ああと思いました。
特に、「大人が選手を自分好みのストーリーに当てはめようとする、いわば、青春の押し付け」というところ(この記事の3回目冒頭)。
そう、感動的なストーリーを消費して楽しんでいるんですよね。おもに大人が。
筋書きのないドラマなんてちょっとうるっときそうな言葉だけれども、このドラマを「テレビドラマ」と取ってみれば、要するにエンタメとして見てるんです。
9回裏ツーアウトで祈ってるスタンドの女の子とか、空振り三振してがっくりして泣き出す選手とか、そうやって一回きりの夏を経験している子らを見て、なんとなく青春の美しさ的なものを目撃してなんら関係ないのに感情移入したりもして。
毎夏のように見ているけれども、前年ぐらいはともかく2年前、3年前の優勝校も覚えていないし、チームも選手の名前も覚えていない。
個人を見ているのではなくて、夏、がんばっている若者を見ることを年間行事のひとつとしてなんというんですか、ループものみたいな。
で、だから、「夏、暑い中、甲子園(屋根なし)、坊主頭でやってもらいたい。そうでないとビールがうまくない」みたいのって、要するに単なる好みでしょう。
お子たちは、そういうもんだと思っているのかもしれないし、次から甲子園でなくてドームな、ってなったら「えーっ」てなるのかもしれないけれども、でも、本当に野球したいならベストなコンディションでできるほうがいいんじゃないでしょうか?
足攣って倒れちゃう選手もいるみたいですが、攣るのも痛くてたいへんだけど、まあ治りますが、治らんような事態が起こってしまったらどうするのかと。
高校生の考えもきちんと聞くのが良いと思うけれど、はっきり言って命に関わるようなことなんだから、その点は「高校生が望んで参加したんだし、自己責任」とはならないし、やっぱり大人の責任だと思うんですよね。
甲子園をドームにするなり屋根を付けるなりっていうのもいいのかもですが、地方大会を全部ドームでするのは難しそうだから、やっぱり季節の問題だという気がします。ないよりはマシなのかもですけど、「熱中症が怖いなら、クーリングタイムを作ればいいじゃない」って苦肉の策なのでなければなかなかのスパルタじゃないだろうか。
秋、もう少し涼しいときにすればいいったって夏休みだからできるってこともあるんだろうし、いろいろぱっとはうまくいかないんでしょうけども、せめて真夏の真昼に試合するのはやめるとか、どうにかならんのですかね。
ここまで書いたこととあんまり関係ないけどちょっとある、随分前に読んだこの本が好きです。
サインを出しても見ない選手たち(監督が「見て!」と叫んだらしい笑)、というのがすごく新鮮だった。
でも、それでいいよね。