ぱっと頭に浮かんだのは『三四郎』のストレイシープ
特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
夏目漱石の『三四郎』です。
1908年というから100年以上前の作品なのですね。
これは若いときに読むといいと思う。若くなくなってから読んでももちろん良い。
私が読んだのは、若いと言っても学生時分で、おそらく20歳そこそこだった。
とかなんとか言いつつ、実は「迷える子(ストレイシープ)――わかって?」と「かあいそうだたほれたってことよ」だけが強烈に残っており、物語自体がどんなだったかはあんまり覚えていない。おぼろげな記憶しかないが、三四郎の恋を応援していなかったと思う。多分美禰子が嫌いだったのだ。
もしかしたら美禰子に嫉妬していたのかもしれない。
とはいえ私が三四郎に恋をしたからではもちろんなく、いつか自分も「ストレイ・シープ――わかって?」というような不思議なことを言うてみたかったのである。
そんなシチュエーションは訪れず、そんなことを言って空気がもつような謎の魅力を備えるに至らず、当然ながら言ってみたことはない。
最近、もう一度読み始めた。最初のほうで同宿した女性に「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」なんて言われる場面があり、忘れていたが強烈だなと思った。若い男性(しかも100年前の九州男児)としてはこの言葉は刺さるだろうな、とこれは今だから想像できるわけです。今読めば美禰子についても別の感じ方をするかもしらん。
起こっていることひとつひとつを取り上げれば、きっと私はそんな体験をしていないのだけれど、でもなにがしか「あの頃はそんな思いだった(かもしれない)」というのを思い出すし、読み進めて行けばますます思い出すだろう。だからか知らないが、「もう一回読もう」と思ってから本を開くまでにかなり時間がかかったし、なかなかページが進まない。なんというか、すでに失われているけれどまだ冷静に見つめ返せるほど隔たっていない季節、なんでしょうかね。
内容は吹っ飛んでいても、私にとっては青春の香りがするというかまさに青い春そのものといった小説で、若い頃の自分というよりも「若さ」そのものを切なく思い出させる。仮に「青春」が『三四郎』の主題でなかったとしても、私にとってはそういう作品なのです。
青空文庫でも読めます。
追記。
よく考えてみたら、三四郎は熊本から出てくる。
一度だけ熊本に行ったことがある。なんでもおいしくて、人は優しくて、すごくいいところだと思った。
どう言っていいかわからないけど、まずは早く余震が止みますよう。